「人種のるつぼ」と「民族のサラダボウル」

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 小学生の頃、社会科の授業でアメリカのことを「人種のるつぼ」と「民族のサラダボウル」は並行
的な存在と習っていた記憶があります。
 
 一方、大学受験以降になると、「人種のるつぼ」という表現よりも「民族のサラダボウル」の方が
適切だと習いました。その理由は、「混ざり合って存在するけれども、溶けて同化しないから」
ということでした。(*)

* Wikipediaの「人種のるつぼ」にも同様の記述があります。

 一方、最近、インターネットの世界とリアルの世界もサラダボウルではないかと思い始めました。
過去に比べ、インターネットが社会の中で一般的存在になったけれども、完全に同質な存在として
生活の中に溶け込んでいるのではなく、別の存在として分けて考えるべき部分は分ける必要が
あるのでは、ということです。

 なぜ、そういうことを思ったかというと、久しぶりにmixiの知らない人の日記を見たからです。

 適当なニュースから数名の日記を見てみたのですが、「正直、ひどい」、という印象です。2chで
匿名で書いているのとは違い、特定されるリスクが十二分にもあるのにもかかわらず、全くそういった
リスクを考慮せずに、悪口(批判や批評ではなく、ただの悪口レベル)書き連ねている人が
相当数見受けられました。多分、友達との間での話の延長線で書いているのでしょう。
ただ、それにしても、会員制ではあるけれども、会員数から考え実質的にオープンなインターネットと
変わらない世界に対しての接し方として、どうなんだろうと感じざるをえませんでした。
(もっとも、リアル社会における物事に対する論調が、昔に比べ「一方的」「断定的」に
なってきているように思われることもその一因として存在しているのでしょうが)

 と、同時に、このことは自分にとって、インターネットは生活にとって必需品ではあるけれども、
生活と同化するものではないということに気がつかさせました。

 そう思うと、明らかに現実とは距離を置いて(時にはおいたしちゃう人もいましたが)楽しむ世界で
ある「2ちゃんねる」や、携帯電話という情報社会の申し子のような端末を通じ、現実とつながっている
けれども、現実と異なる世界として位置づけやすいモバゲータウンのような世界の方が、
リアル社会とインターネットとの関係性として正しいのではないかと考えました。

 と、最近、自分自身の行動や感情の振れ幅が増幅していることに対しての警戒感もあったので、
自戒の念も含め、記しておこうと思いました。

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